坂の上と橋の真ん中とトンネルを出たところでクラクションを鳴らすという法律があったらしい

2019.01.10(THU)

先日、父上(御年84)に聞いたところによると、かつて父が免許をとった若い頃には、坂の上と橋の真ん中とトンネルを出たところでクラクションを鳴らすという法律があったらしい。プッと鳴らすらしい。当時はまだ人力車が走っていたらしい。人力車(=タクシー)で走っていても、坂の上まで上がって来た時には、なぜだかクラクションを鳴らすことになっていたらしい。という場所が、坂の上以外にも2つあって、トンネルを出た時と、あと、橋の真ん中でも鳴らす、ということが道路交通法的な法律で定められていたらしい。詳しくはよく知らない。聞いただけの話。

祐天寺駅のロータリーのところにも人力車はいつも泊まっていて、時々使う人がいたらしい。駅の近くの某開業医の家では常駐の人力車を雇っていて、常に往診などでは人力車を走らせていたらしい。それで坂の上まで来ると(これ見よがしに)プップ鳴らしていたらしい。

人力車というと、今では浅草や江戸情緒溢れさせたがっている観光地ではねじり鉢巻を巻いたような健脚の人たちがお客さんを乗らせるようなものになってしまっているけれども、東南アジアでは今でも場所によりではあるが健在。タイでも幾度か田舎の都市部で見た。「サムロー」という。「サム」は「3(さん)」という意味。三輪だから。数字はアジア圏共通した祖語を持つ。タイ語で「4」は「スィー」。「6」は「ホック」。「万」は「ムン」。などなど。

サムローの写真は「タイ万華鏡-2 / Thai Kaleidoscope-2」より拝借

「サムロー」は原動機がついてその音から「トゥクトゥク」という名に変わった。今ではトゥクトゥクも環境に配慮して2022年までに全てEV化するらしい。

写真と情報は日刊工業新聞より

さて、話は元に戻り、この法律が本当にあったのかを調べてみる。インターネットで適当に検索すると「車両クラクションの栄枯盛衰史」なるニッチな情報は出てこない。しかし、調べてみると、ちょっとあった。公益財団法人国際交通安全学会というところが出している「日本における交通安全政策と規制の変遷(1950年〜2010年)」という刊行物。それによると、1948年施行の「道路交通取締法」という法律(今の「道路交通法」とは違って「取締」の法律であるという視点にも注目)では、クラクションは追い越しや徐行といった安全目的のために必要、と、いう確かにクラクションを義務とする文言が法律に書かれているのである。

第十三條 道路における車馬の追從又は追越について必要な事項は、命令でこれを定める。

それの施行令を探してみた。少し調べると国立公文書館でアーカイブされている!天皇のサインも発見し、諸々の修正後がある原本なのでたいへん興味深い。2枚だけスクショ。

(徐行すべき場所)

第二十九条 車馬または軌道車は、見とおしのきかない交さ点若しくは坂の頂上附近、曲角、横断歩道又は雑踏の場所を通行するときは、警音器、掛声その他の合図をして徐行しなければならない

警音器の使用を法律により義務付けている。この「日本における交通安全政策と規制の変遷(1950年〜2010年)」によるとその後「ノークラクション運動」なるものが起こり、クラクションを鳴らすことは逆に違法という流れになっていったというが、冒頭の父の発言は「徐行をする」という文脈でないにしても、その内容の「クラクションを慣らさなければならなかった」ということは確かにあったようである。「坂の頂上」はあるが、「トンネルを出たところ」「橋の真ん中」などはない。あるのかもしれないが探す時間は今日のところはもうない。暇で暇でしょうがない時に探してみる。

それにしても、なかなか現行のものではない情報は出てこなかった。検索エンジンは現行のもののみ。古いもの、古い思考はアーカイブされていく。あたかもそんな古い情報はまるでこの世になかったかのように。ともすれば検索上位のものにのみ価値を見出しがちなわたしたちであるが、検索エンジンのアルゴリズムはポピュリズム。そこに一抹の危うさを感じつつだが、享受できるものがたくさんあるのでひとまずはしょうがないとしておく。