生命と健康と恋愛と自由と

2019.05.17(FRI)

昨日twitterに書いたことのコピペです)

(書き始めたら長くなってしまったのでコピペしてまとめておく)

【日本語教育】昨日の「中級前半」の授業で「比較表現のまとめ」っていう項目をやらねばならず、やったわけ。んで何をやったかっていうと、「ダイヤモンド・ランキング」。9個の価値観の項目を順位付けて他者と語り合う、って活動。定番ワークショップ。

いろんな風にアレンジできるけど、昨日わたしがやったのは「自分にとって大切なもの」。「自由、正直、生命、健康、学歴、財産、恋愛、平等、財産」の9つを順位付ける。んで比較表現のまとめ使いつつ、近隣の人と比べ合う。参考↓ http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/753801.pdf …

んで、わたしも教卓でこっそりやってたわけ。最初は「自由」を一番上に書いて、当然そうだよなぁなんて思ってたんだけど、ある学生が「生命」って書いてて、よくよく考えてみたら、そうだと思った。命がなきゃ何もできない。

じゃあ、「健康」と「生命」どっちが大切か。と悩んだ。健康でなかったらあかんよなぁ。健康であることこそ全ての源かもしれない。ゲーゲーしながら体調不良で生きるのは嫌だなぁ、辛いわ、と思って、一度は「健康」って書いた。でもまたよく考えると、ちょっと待てよ、と。

「生命」って奇跡的なものではないか!?この不思議な現象はちょっと神がかってさえいる。宇宙の中ですっごいアクシデントが無い限り生命は生まれない。生命は尊い。不健康になったからといって、じゃあ、貴女、死を選びますか?ってなった場合、選ばないでしょう。自由が剥奪されたって、生命さえあれば根性で生きる。自由を失ったからといって、自殺はしない。どんな泥臭くなったって生きていくような気がする。自分が生命を終えて死ぬ時というのは、自分の意思とは別に、心臓が勝手に止まって勝手に自分は死んでいく時。心臓がまだ生きようとしているのに人間の勝手な意思でそれを止めるのは心臓に対して申し訳ない。生命に対する冒涜ではないか?そう思って、ランキングの一番上には「生命」って書いた。

第2位には2つ書かなきゃいけなくて、そこに「健康」と「恋愛」と書いた。何故か「恋愛」と「自由」のどちらが上位かを悩む羽目になる。(最初は「自由」を最上位に書いたくせに、なんだか「恋愛」を3位(中位のポジション)に書きたくない衝動に駆られる。恋愛は自分の中では大切で、上位に置いておきたいなぁ、と。んでもって現実には上位にある価値「恋愛」がしばらくうまく行っていないから心が不穏なのだ。それはさておき)

んで、学生達の様子を見てると、それはもう中級前半とかいう日本語のレベル関係なしに、どのグループも話し合いは活発になっていて、やっぱ言語教育、外国語教育は言いたいことないとダメだよなぁ、言いたいことをうまく表現するための文法項目!だよなぁと思いつつ、んでもって学生に「先生の見せて」と言われて、学生達の議論に引きずり込まれる。で、「えー!?『生命』??」と驚かれるわけ。「健康じゃなかったら生きている意味がない」「それより財産」「恋愛」。笑。価値観は多様にあって良い。相手をリスペクトしながら相手が何を考えているか理解しようとする努力が大切。

そこでやっぱし「なんでですか?」って質問が出てくる。こうならないと。んでわたしは答える。最初は1つのグループで語っていたが、次第に大きな輪となりクラス全体のムーブメントとなる。わたしはわたしの生死感を語る。皆真摯に聞く。別にわたしのは回答ではない。正しい答えというのはない。

で、わたしも真摯に答える。で、やっぱりそうだと思う。「なんでわたしはそう考えるのか」って聞かれたことで、自分の考えに気がついていくこの自分リニューアルのプロセスいいよね。それは別に日本語のレベルの問題ではない。教員のわたしでさえ学生に聞かれてこうなんだから。

かくしてわたしの文法の授業は深い語り合いの場となった。定着してくれればいいな。でもそれが主目的ではない。「結果としてそうなる。」

わたしは、昨日の授業後からずっと自分自身この生死観について考えている。んー考えなくても直感的にわたしはそう思ってる気がする。