洗骨と戦争マラリア

2019.09.13(FRI)

(一社)日本語教育支援協会主催の「R & KH Coder 講習会 in 石垣島」で石垣島に来て早4日目になる。私は石垣島に来る前に沖縄本島と波照間島に立ち寄ってからこの石垣島に来た。今日は3日間の講習の後の休み日であり、午前中は講習会開催宿から徒歩10分弱の、素晴らしく熱帯魚がきれいであった青の洞窟近辺でのシュノーケリングを楽しみ、午後は竹富島へ行く参加者メンバーを離島ターミナルまで送り届けた後、ひとり「八重山博物館」続いて「八重山平和祈念館」を探訪することとした。那覇でひとり散歩していた時偶然見つけた沖縄専門書系の古本屋で数冊沖縄本を買い、去年の講習会 in 石垣島の時から徐々に密かに興味関心を持ち始めている「沖縄」「八重山の社会・歴史」勉強欲に火がついているからだ。現在月末の言語文化教育学会の例会登壇に向けて読むべき本が大量にあり、スーツケースの半分が本、という状態で月初からから旅に出ているのに、現地で購入した本を朝晩夜中読み耽っており、少しずつ沖縄・八重山理解を深める次第となっている。今日の午後はその体系的学びをしたく、ひとり行動している。


八重山博物館」では「洗骨」という奄美・沖縄離島独特の習慣を知る。Wikipediaによると、洗骨とは一度土葬あるいは風葬などを行った後に、死者の骨を海水などで洗い、再度埋葬する葬制、とのことである。死後3年、5年、7年ごとにその棺を開け、死者にまだついている腐肉を水や泡盛で洗う、というような記述が展示のキャプションにあった(去年の石垣講習会の時に、地元の人が「泡盛は自家製で作る」「墓の中は涼しくて醸成に適しているから墓で保存する」と言っていたことが頭に過ぎる)。骨に肉がついている段階では、本人はまだ完全にあちらの世界には行っていないらしい。身内の人が棺から再度出し、洗っていくことで、ようやくあの世に行くことができるということらしい。言わば殯のような考え方なのだろう。そこにある頭蓋骨の入った甕を目の前に見て、ぎゃ〜、怖い、どんな図、どんな臭い、と思いながらも、これは生来的にリアルなものである死を内包しているリアルな生だと理解した。または、逆に生を内包している死であるというべきか。後者の方が近いか。または同値であるかもしれない。人工的な儀式ではなく、生と死に正面から対峙した自然な社会的儀式だと思った。私も全身についた余計な肉のその奥に骨は確かにある。きっと私も死んだら骨的存在になる。その時の骨は私という存在だろうか?現代マクドナルド式葬式だと、骨化した私は「元・松島調」でしかないような気がする。しかし、なんとなく洗骨儀式で完全に骨化した骨は、その人本人で存在し続けているような気がする。調べてみると、洗骨については映画もあるらしい。いつか観る。


八重山平和祈念館」では戦争マラリアに関することを中心に、戦争の始まりから終わりまでのいろいろなことが展示されていた。新聞や生活の道具や写真などが分かりやすい説明と共にあった。私は石垣島に来る前に行っていた波照間島で、偶然にも戦争マラリアについて話を聞く機会があった。


波照間島ではわたしは観光客であり、時々話す現地の人とはそのような話には大抵ならない。「海」「星」「どこから」などエンジョイ的話をするのみであった。ある時、食べ物を求めて散歩していた昼下がり、暑い中ようやっと見つけたカウンター4席の小さな食べ処に入った。そして、そこのお姉さんとたいへん有意義な話をすることができた。お店の名前は「ひまわり Cafe」。他愛もない話や、波照間小学校・中学校の素晴らしすぎる卒業壁画の話、高校進学のために15で島を去る覚悟があるという話に続き、戦中の波照間での戦争マラリアの話を聞く。


戦争の最後の頃、当初は教師に扮していたという山下虎雄なる軍人が来て、波照間の島民全てを強制疎開させたという。本島だけでなく、波照間島にもアメリカ軍が上陸してくるかもしれないから、作戦の邪魔になるから西表島に行け、と言って行かせたという。西表島にはマラリア蚊がうようよしている。波照間にはマラリアはいない。マラリアは死ぬから行きたくないと島民は言っていたにも関わらず、日本刀を振り上げて脅された島民は泣く泣く西表に強制疎開。有無を言わせない。牛や豚などもたくさんいたが、「米畜の栄養源になってはいけないから全部殺せ」「殺したら肉はもったいないから燻製にして近隣に展開している軍人の食糧とする」などと言って家畜を全て殺させる。強制疎開先の西表は地獄だったとのこと。マラリア患者がマラリア死の死体をござに包んで運んで処理。その帰り道にそのござに包まって死体を運んだ本人が死ぬ。など。


結果

波照間島民1590人 マラリア罹患数1587人 マラリア死数477人


昨今読んでいる本のどこかに戦争マラリアに関する情報はあり、知識は得ていたものの、リアルに話を聞いて、一気に話がリアルになっていた。そうして今日から4日前の朝、私は波照間を去り、今回時を得て石垣島で「八重山平和祈念館」に行ったわけである。聞いた話が展示されていた。


「(軍部)バカじゃないのか」「装甲車で民家を押しつぶして前進する米軍に竹槍で勝てると思っていたのか」「愚かの権化」「戦局ダメなのに恰も日本軍が活躍している報道」「朝日新聞の戦前と戦後の報道の態度のこの差異はなんだ」などと憤りの念や悔しさ的な気持ちでいっぱいになり展示を見る。頭に来すぎる。なんだこの戦争というものは。マラリア薬キニーネも無いところで、ジャングルの葉っぱをすり潰し薬にして飲んだり(民間療法)、菖蒲の枕に頭を置いたり(おまじない)、患者の額に流水をかけっぱなしにしたり。子供の患者の額には何かの葉っぱを貼っておくとのこと。なんだこれは。愚策が地獄を生み出した。地獄は簡単に作れる。


展示が終わったところに「ご自由にお読みください」の本棚コーナーがあって、そこで『忘れな石―沖縄・戦争マラリア碑』という子供向けの本を手にとって読んでみた。波照間での物語。子供向けではない。ずっと読んでいたら、後ろから館の人が突然来て「17時で閉館です」と声がけされた。館内には私しかおらず、その人と波照間に行っていた話や諸々を話す。20分くらいのアニメなども館内で上映しているからそれも観たらいいとのこと。また日を改めて行きたい。


そうして館を去ろうとして駐車場内で車をバックさせている時に、その館の人が突然こちらにやってきた。窓を開けて話をする。オススメのドキュメンタリー映画があるので観て欲しいとのこと。「沖縄スパイ戦史」という映画。観る。


このあと、竹富に行った方々を離島ターミナルまで迎えに行く。途中、自分の心の中の何かの気持ちを抑えきれなくなり、良さげな古本屋さん兼お茶処に寄り、波照間黒糖カフェラテを飲みながら携帯からgoogle documentでこの文章を書き始める。宿に戻りご飯を作り食べ、再度PCでこの文章を書き始めた、という次第。